1999

2012年04月14日

「1999」終章 - 第1話「さいごのたたかい(1)」

第1話「さいごのたたかい(1)」

 僕たちは柿原の家―――今では跡地に過ぎない―――を後にした。


 家に帰り着くと、玄関の前にタクシーが停まっていた。真っ黒な車だ。車種までは断定できないが、値の張る車であろうことは外見から見てとれた。タクシーは恐ろしい位手入れが行き届いている。車体はピカピカに磨かれ、丹念にワックスが塗られている。窓には埃ひとつ付いていない。タイヤも新品のように見えた。
 近づいていくと、運転手席の窓がゆっくりと開き、中から男が顔を出した。

「トウシバ・サトルさんかね。」
 男は僕に話しかけてきた。男は陽に焼けた褐色の肌をしており、頭髪には無造作に白髪が入り混じっていた。年は50代くらいだろう。

「そうです。」僕は答えた。
「そいつは良かった。もう一時間近くここで待ちぼうけを食らわされていたのでね。そろそろ帰ろうかとも思い始めていたんだが、そういうわけにもいかない。何しろ仕事だ。」
「仕事?」
「君を〈ある人〉の所に送り届ける事さ。一応私も教団の人間ということになっていてね。見ての通り、普段はタクシーの運転手をしているが、指示があった場合はそちらを優先する。で、今日は指示があったというわけだ。
 すまないが、乗ってもらえるかね。」
 男はとてもいやらしい眼つきで僕を見た。下品で高圧的な眼だ。俺は人生の酸いも甘いも噛みしめてきたんだ、その俺がお前に命令している、だからお前に選択の余地はない、黙ってついて来い、とその眼は主張している。

「嫌だと言ったらどうします?」
「それはあまりお勧めできないな。正直な所、私はどっちだっていい。だが、君にとっては大きな損失になるだろう。それだけは保証しておく。
 この車に乗ることを拒むのであれば、君は君の求めているものを手に入れる機会を永久に失うことになる。何しろ君ときたら、まるで見当違いのことをしている癖して、いっぱしの探偵気取りでいるんだからな。言うなればこれは助け舟なんだよ。」

 男がそう言うと、後部座席のドアが音もなく開いた。
 僕はタクシーに乗り込んだ。
 
 タクシーは滑るように走り出した。外見に似合わず男の運転はとても洗練されていた。
「どこに行くんですか?」
「君が一番会いたい人のところへ、さ。それにしても君は質問ばかりするね。ヨサルディンの奴は随分と君を高く評価してるみたいだが、私にはわからんな。君はどうでもいいことにこだわって、他人を困らせる質問を繰り返す。そのくせ大切なことは何一つしない。まるで幼児みたいな奴だ。少なくとも私にはそう見える。」

「柿原のところかな?」

「ほら、言ったそばからまた質問だ。人の話を全く聞いていない。君が一番会いたい人のところへ行く、と言っただろう。
 すまないが、質問を止めてもらえないか。私は質問されるのが大嫌いなんだ。なんでもかんでも聞けば答えてもらえると思ったら大間違いだ。しかるべき対価を払わなければ本当の意味での情報は手に入らない。わかるかい?」

「わかります。」

「そいつは良かった。それじゃあ私の方から『一方的な話』をさせてもらおう。いいかい、『一方的な話』だ。念を押しておくが、君は一切口を挟んじゃいけない。もし君が一言でも喋るようなら私は話を止める。すると君は、貴重な情報を得る機会を失うことになる。いいね?」

 僕は頷いた。

「良い心掛けだ。その調子で頑張ってもらいたいね。そうすると私も気持ちよく話ができる。
 そろそろ本題に入らせてもらうよ。どうにも前置きが長いのは私の悪い癖でね。女房にもよく愚痴を言われたもんだ。もっともその女房も今はいないがね。おっと、勘違いしてもらっちゃ困るぜ。死に別れた訳じゃない。離婚だよ、リコン。
 ふむ、どうやらまた話が脱線してしまったみたいだ。すまないね、許してやってくれ。ま、君が許そうが許すまいが私にはどっちだっていいことなんだがね。

 ある男の話をさせて欲しい。その人は私の最も尊敬する人であり、ただ一人の友人でもある。

 彼はあまりに明晰な頭脳と、繊細過ぎる感受性を併せ持っていた。小さな頃から本質を理解し、人間社会の抱える問題について深く考えていた。そしてかなり早い段階で答えに辿り着いた。〈全ての人類が幸福に暮らすことのできる世界の創造は論理的には可能だ。しかしなながらそれは、他ならぬ人間自身の欲望によって実現不可能だろう〉とね。富と権力を独占し、手放そうとしない者がのこの世に存在する限り、貧困や無益な争いからは決して逃れられない。
 だからこそ彼は世界を、人間の愚かさを激しく憎んだ。我々凡人には分からん苦しみさ。目の前に天国が見えているのに決してそこには辿り着けない。そのもどかしさというのは一体どんなものなんだろうね?私には想像もつかんよ。

 彼は世界の終りを待ちわびていた。社会を動かしているシステムをリセットし、ゼロから再構築する―――彼にとって、それだけが理想的な世界を創造する唯一の方法だった。ただひとつの希望だった。
 この希望を幼稚だと笑い飛ばすのは容易い。実際の所そのような思想は、誰もが若い頃に一度は夢見て、大人になる過程のどこかで甘過ぎる妄想だと切って捨てる類のものだろう。
 だが彼は最後まで諦めなかった。そのためには世界を一度滅ぼさなくてはいけない。それ以外に道はない。
 その為にはどうすれば良いか―――?彼は必死で考えた。そして、ノストラダムスの予言に全てを賭けたのだ。

 1999年が何事もなく去っていくのを見届けたあと、彼はある〈決意〉をした。それは絶望的なまでに悲壮な決意だった。思い出しても胸が痛むね。
 彼は考えた。ノストラダムスの予言が嘘っぱちならば、大魔王を造ればいい。自分自身で大魔王を産み出し、予言を現実にする。それが彼の結論だった。

 彼はあらゆる手を尽くした。いかなる犠牲も厭わず、大魔王を創造しようとした。そこで彼が目に付けたのが君だったというわけだ。
 申し訳ないが、私には何故君が選ばれたのか理解できない。さっきも言ったが私の目には、君はとても無能に映る。少々頭は回るかもしれないが、そんなものは世の中では大して役に立たんよ。君くらいの奴はいくらでもいる。腐るほど沢山ね。」

「全く同感です。」

「いいから黙っててくれないかな。余計なことは言わなくていい。そして君の口から出てくる言葉は、ひとつ残らず余計なことだ。
 彼によれば君は『自由』なのだそうだ。自由ね。胸糞が悪くなる言葉だ。自由など幻想に過ぎない。権力者が奴隷たちを騙すために産み出した甘いウソだ。社会は支配する者と支配される者、この二種類だけで成立している。例外はない。そして君は支配される側の人間だ。違うかい?」

「その通りだと思います。」

「だから黙れって言ってるだろう!俺は絶対にお前を認めない。お前は人間のクズだ。何の価値もない、のろまで愚鈍でニートでオタクで童貞で、とにかく最低最悪の人間だ。お前と話していると気分が悪くなる。お前の全身から発せられている無気力で自堕落なオーラが癪に触って仕方がない。俺はお前が大嫌いだ!何故だ?どうしてお前なんだ!?」

 男はアクセルを思い切り踏み込んでスピードを上げ、前方を走っている車を4台追い越した。それからすぐ、後方でクラクションが鳴り響いた。

「…すまない。少し取り乱してしまったようだ。話を続けよう。
 とにかく彼は君をとても高く評価している。君に賭けている、とまで彼は言った。
 そして君を頂点とする理想の王国を夢見た。事あるごとに彼は君にその話を持ちかけていたはずだ。
 ところが君はそれを拒絶した。一度だけでなく、何度もだ。その時の彼の気持ちが理解できるかね…?

 そしてついに彼は最後の手段に出た。
 文字通り最後の手段だ。この選択は後戻りがきかない。やり直すことができないんだ。これはとても恐ろしいことだよ。彼は入念に検討を重ね、勇気を振り絞ってその決断を下した。
 おや、何を決断したのか、とは聞かないのかい?」

「何を決断したんですか?」

「いい質問だ。そいつはじきに明らかになる。さあ、もう着くよ。」


 男は車の速度を落とし、細い路地を左折した。そしてとあるビルの地下駐車場に入っていった。見事な運転だ。口は悪いし性根も腐っているが、運転の技術だけは認めざるを得ない。この世界には車を運転するためだけに産まれてきた人間が存在するのだろう。コーヒーを淹れるためだけに産まれた者がいたように。

 やがてタクシーは停車し、後部座席のドアが開いた。

「車を降りたらまっすぐ歩いて行け。あそこにエレベーターがあるだろう。あれに乗って最上階に行くんだ。そこに彼がいる。
 君と話が出来て光栄だったよ。それじゃあ。」
 ドアが閉まり、タクシーは去って行った。後には排気ガスの煙だけが仄かに残された。

 僕は男の指示に従い、エレベータのある方向に歩いた。駐車場はあまりに静かで、足音だけがかつん、かつんと響き渡った。



 まるで世界全体が停止してしまったみたいだった。



posted by 魔王源 at 12:00| Comment(0) | 終章
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